Life is for the memories.
最近、それもごく最近のことですが、
私の毎日をすべて記録に残してみることにしました。
何時に起きて、いつどこで何をして、
それにどのくらい時間がかかって、
いつどこで寝て。
数年前にも同じことをしていたのですが、
忙しさ、慌ただしさにかまけて、
すっかりしなくなっていました。
そして、あらためて生活記録を見て、
おもうのは、、、
意外と仕事をしていない(笑)
メール対応、電話、郵送物の手配、
確認・問い合わせという名のやりとり、
諸々の書類の作成と請求処理、
システムの管理&メンテ、、、
え、これに3時間使ってたの!?
と愕然とする。
そして、その3時間の直前の3時間は、
大量のリサーチとライティングをしてたりする。
うーん。これが同じ時間か… とかね、おもうわけです。
なんというか、重要度じゃなくって、生産性の話でね。
・ ・ ・
この広い世の中で、
私にしか出来ないことなんて、実際のところなくって。
(強いて言えば、極々限定されたプライベートなところくらいで)
私の毎日を構成しているのは、ざっくり言うと、
「誰でもいいけど」たまたま私が関わっているもので、
いや、そんなことはない、というかもしれないし、
それを否定する気もないけど、ただ、それが私の世界観で。
たまたま、どこかで出会った方と、たまたま、一緒にできることをしている。
誰かに話すと「そんなことってあるんだねぇ」って言われそうなことばかりだけど、
いや、むしろ「それが普通」で、何かを望んで積み重ねたことなんか、ない気がする。
たとえ、外からどう見えていたとしても。
「何かを手に入れるためにガンバル」よりも、
「気付いたら既にそこにいた」ことの方が断然多くて。
ホントに自分って適当だなぁと、つくづくおもう。
ひとつひとつの事柄についてでなく、なんというかそもそも人生全般について。
これは多分、「今」しか見ないトレーダーの特質。
それでも、おかげさまで幸せに毎日を送れているのは、
しかも、結構おもしろい充実した毎日を送れているのは、
ひとえに、そんな「たまたま、どこかで出会った方たち」のおかげで。
だから私は、その方たちの求めているもので、
私が差し出せるものがあるとしたら、
なんであっても、ギリギリまで差し出そうと決めている。
体力の限界、感情の限界、時間の限界… etc まで。
たまたまだけど、みんないい方ばかりで、話に聞くブラック企業のように、
潰れたら代わりを探せばいいなんて、そんなことを考える人はいないから。
(ま、仮にいたとしても、私は気付かないけどね :-p)
「LIFE IS FOR THE MEMORIES ―― 人生は想い出づくりのためにある」
可能な限り、楽しい想い出を積み重ねたいですね。
まみ
2014年4月7日