それ、別に私じゃなくてよくない?!
私は「考えること」「つくること」が仕事なのですが、
時々、すごくイラッとすることがあります。
それは、、、
「適当でいいから」
「とりあえず、欲しい」
「簡単でいいから」
「シンプルでいいから」
みたいな、オーダー。
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イライライライラ、
イライライライラ!(-。-)
ねぇ、それなら、
別に私がつくらなくて、よくない?
その辺の外注さんに頼むか、
それこそ、「かんたんな」図でも描いて
指示どおりにやってくれる人に任せれば?
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正直に言うと、
私は「適当にパパッと」つくるのが苦手です。
私がつくるものは、基本的に売上に関わるもので、
たとえ、仕上がりが「シンプル」なものでも、
調べること、試すこと、考えることに、
おそらく、想像以上の時間を使っています。
いや、今回のは、
「そこまでやらなくていいから」と言うかもしれない。
でも、実際問題として、何をやるにしても、
私はそこまでやらないと、つくれないのです。
不器用なくらい、手加減が、できない。
詳細なイメージをもらえれば、
それこそ、手を動かすだけだから、別に考えることもないけど、
それなら、それこそ、誰か外注さんにお願いすればいい話。
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なーんて、軽くイラッとして、
ふと、リンクしたことがあります。
それは
「これをそのまま話してもらえばいいですから」
みたいなお願いを、拒絶されたこと。
「それ、自分がやる必要がある?!」
「それするなら、別に、自分じゃなくていいよね?」
「自分らしくない」
その時、私はこう言ったのです。
「いいえ、これを『あなたが話す』こと、そのものに意味があるんです。
だから、それでも、あなたにやって欲しいのです」と。
もちろん、嫌々ながらやるものが、
いいものに仕上がるわけはないけれど、
それでも、うまく仕上げてくれるんじゃないか、と
心のどこかで、期待した。
もちろん、そうでなかったとしても、
その人の声が乗ることで、
聞き手は、その人の言葉として受け止めると見込んだ。
それだけで、十分だった。
「誰が話すか」って、
時に「どうやって話すか」を越えるし、
下手したら「何を話すか」という内容すら越えるから。
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と思っていたのだけど、、、
私は悟りました。
無理なものは、無理なんだ、と。
正直、すごくびっくりしました。
そういうことってあるんですね。
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同じように、
私に「とりあえず、簡単に」とオーダーする人は、
多分、ひとまずは、心のどこかで、
何らかの期待をしているのだとおもう。
きっと、それでもうまく、
仕上げてくれるのだろう、と。
「適当につくるのが苦手」だろうが、
「適当にやろうとしても」時間がかかろうが、
そんなことは、相手には関係ないわけで(あたりまえですが、、、)
だから、精一杯、時間をかけずに
かんたんにシンプルにやる、というのが
新しいチャレンジなわけです。
「もう、考えないでやります! (リサーチもしない)」
くらいの勢いです。
、、、ちなみに、これ、
とあるクライアントさんに言ったら、
「それは困る」と普通に返されました :-p
# っていうか、やっぱり、無理だよねぇ、、、
# リサーチしないで、用意された素材もなくって、
# いったい、どうやってつくるんだ???
# 頭の中からひねり出すのは、もっと時間かかるし、、、
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たとえ、それで OK が出ても、
自分の中で、自分らしさを殺してつくってるから、
別に全然「楽」ではないし、
あとから、自分のつくったものを見て
げんなりするだろうけど、
きっと、それでいいのでしょう。
これはビジネスで、それが求められていて、
それに応えられたのだから。
(ただ、疲弊していくから、私は、続けられないけど)
そして、その、いつもと違う努力の結果、
期待に応えることができなかったら、
そのときこそ、相手は、きっと何かを悟るのでしょう。
少なくとも、それをやらないで、
「今までの自分のやり方」を押し通すのは、
フェアじゃない。
# つまり、、、
# 「とりあえず」相応の短期間なのに
# 通常と同じだけのことを、
# 他の予定を飛ばしたり、寝ないでやって
# 無理矢理、そこに押し込めるのも、 ← 昔の私
# それはできない、と期間を延ばすのも、 ← 今の私
# どっちも、違うってこと :-p
できないと「言葉で言う」のでなく、
アウトプットとして示して、
できないと「わかってもらう」方が、
ずっとスムーズに理解される。
ちょっと、コピーライティングの
テクニックと似てます(-。-)
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、、、というところで、
落ち着きました m(__)m
今日も、いい日になりますように。
まみ
2015年6月26日